【哲学カフェオルタ】「生命らしさとは?」(前編)【VRchatイベント】

VRchat

今回は2021年11月25日に行われたDOVETY(ディー)さんのイベント、哲学カフェオルタでの話をいくつかピックアップしてお伝えします!

テーマは「生命らしさとは」です。

はじまりに、参加者が1人1人自己紹介をかねて今回のテーマについて思うことを話しました。

自分は「動きがあると生命らしさを感じる」と言う旨の話をしました。

ちなみに哲学カフェとは何かのお題に沿ってそのテーマを深めていく会です。

哲学というと難しくって堅い印象を受けるかもしれませんが、哲学カフェはもっと気軽な感じですよ!

自立しているかどうか

始まりに出た話題は自立しているかどうかという内容です。

(吹き出しのアイコンはランダムに選んでおり、特に意味はないですよ!)

自立しているものに生命感を感じるのでは?

ロボットが生き物の形をしているのに、不気味さを感じるのは自立していないからかもしれない。

では自立したロボットには生命感を感じるかどうか想像してみましょう。

国民的アニメのドラえもんは自立しているように思います。

例えば、そのドラえもんとペッパー君を比べたらどちらがより生命らしいという印象を受けるでしょうか。

ドラえもんの方が自分で考えて動いていて生き物っぽい感じはするなあ。

本当に自分で考えているのか、プログラムに従って動いているだけなのかって話にもなりそう。

かわいそうと思うか

何を生命として何を生命としないかという話の中で「かわいそう」と思うかどうかという話題が出ました。

ケガしてる犬はかわいそう。私はこおろぎにもかわいそうと思う。人間のエゴで害なされるということにも、かわいそうと思う。

害虫は殺されてもいやなかんじがしない。

地球を生命と見なすなら、土に穴を開けることにもかわいそうと思う人がいるかもしれない。

地球がかわいそうと思うなら、無機物だから生命じゃない、有機物だから生命というのは主観では?

動植物はわかりやすく生命らしい生命、地球や太陽などは生命らしくない生命という話も出ました。

太陽については、太陽を信仰したり意思のある生命と感じる人もいるという意見も。

生きることでゴミを出したり、電気を使ったり、地球に悪いことをしているという認識、罪悪感を持つことや、地球環境は大事にすべきだって気持ちはあるけど、地球がかわいそうっていう感覚は自分にはないかなあ。

人間には強いかわいそう、動物にはかわいそう、虫には少しのかわいそう、植物にはより小さいかわいそう、星には思わないっていうかわいそうのグラデーションが自分にあることが気付きでした。

自分に近い種族・近い営みをしているものに、より同情心を持っているように思います。

情報って生き物と言える?

実体を持たないものに生命感を感じるかという話題になりました。

数式、AI、ディープラーニング、情報、言語といったものが人によっては感じられるかもしれないと言う話の中で、とりわけ情報について深堀りされたので紹介します。

情報だけで生き物を表現できるか?

成分表みたいになってくる気がする。生命らしくはならないなあ。

入力と出力、視覚情報、画像とか…

ここが仮想世界だとして自分たちが見せられてるのはデータに過ぎない。

その情報に生命らしさを感じるならば、情報は生命と言えるのでは?

逆にそれを生命としないならば生命なんて存在しないのでは?

例えばテレビに映るスポーツ選手は、実物ではなく情報や光と言えるかと思います。

その情報や光である選手を見て生命らしさを感じ取れるならば、情報も生命らしいものと言えるのではということですね。

観測者がいて初めて成り立つということになりそうです。

観測者がいなくても成り立つ「生命感がある」っていうのがどういうケースかなあ。

自分自身のことは誰かが見ていなくても成り立つと言えるかもしれないけど、それも自分自身が観測者になっているとも言えそう。

AIやロボットについて

高性能チャットボットに魅了された人間

チャットボットがあって、それが相手(観測者)もなく勝手にチャットしてても生命らしさは生まれないのでは?という話にも派生しました。

高性能な女性チャットボットが話し相手をしていた男性向けゲームの話です。

このゲーム、実は高性能なチャットボットで返信がなされていたのではなく、本当は中に人がいて返信をしていたそうです。

利用者はチャットボットであるという認識があったかと思われますが、そこには生命らしさがあったのではないかと推測されました。

Aiboを愛した人々

ロボットペットAiboをご存知でしょうか。犬の形をしたロボットで、あまりリアルな犬とは言えない外見です。

そのAibo20年以上使い家族として扱っていた人がいたそうです。最後はお葬式に出したとのことです。このことから、思い込めば生命らしさを感じることが出来るという話になりました。

調べたところ、Aiboの葬式は2019年までで8回行われ、2019年には56台のAiboに読経が行われたそうです。

使い終わった筆を神社で行われる筆供養というものに出したりするけど、思いの大きさがAiboのほうが重そうだなあ。

チャットボットやAiboの話から人は簡単に騙されるし、極端な話、生命のあるものの形をしていればそう見なせるのではという話になりました。

予告

何をもって生命らしさを感じるか。今まで深く考えていなかったことに向き合うことで、新たな発見や、自分の中であった感覚がハッキリと言語化されるのは哲学カフェの醍醐味だと思います。

この話の続きは後半の記事で!

後編では「リアルすぎるロボットはなぜ気持ち悪い?」「体のどこに生命らしさを感じるか」「直線と曲線」などのトピックを載せる予定です。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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